【鏡花怪異譚】明治29年発表。
龍潭譚その7・九つ谺(ここのつこだま)のつづきエピソード。
謎めいた美女の添い寝を受けながら少年・千里(ちさと)は夢うつつに美女の寝姿に目を凝らす。
うす暗がりの有明に浮かび上がる、仰向けに横たわる整った顔だち。
その守り刀を持った白い手を眺めているうちに、千里は自分の母が亡くなった日の姿と美女を重ねてしまう。
死の影を払おうとして守り刀に手をかけると、刀の切羽が緩んで血汐がさっとほとばしった。
千里は慌てて流れにじむ血を両手で抑えようとするが、血汐はとうとうと流れ、美女の衣を赤く染めていく。
美女は変わらず静かに横たわっている。
はっと気づいて見定めると、衣を染めたと見えたのは、すずしの絹の着物に透けて映った、紅の襦袢の色であった。
日が高く上ったころに目覚めた千里は、昨晩あった老人に背負われて山を降りる。
美女はその後ろをついて歩く。
やがて大沼のほとりへとたどり着き、千里は老人に伴われて小舟に乗る。
美女と一緒でなければ嫌だ、と駄々をこねる千里だったが、美女は舟に乗ると気分が悪くなるから、と岸で見送るのだった。
舟は水を切るごとに目くるめくようにくるくると廻る。
岸で見送る美女が右に見え左に見え、千里は前後左右の感覚を失ってしまう―――