【鏡花怪異譚】明治29年発表。
龍潭譚その9・ふるさと のつづきエピソード。
魔処・九つ谺(ここのつこだま)から里へ帰った少年・千里(ちさと)。
自分の最大の理解者であった姉のことまでも信ずることができず すべての物事に敵意と警戒心をむき出しにしながら過ごすうちに、心身共に衰弱してしまう。
ある日千里は担がれて遥か石段を登り、大きな門構えの寺の本堂に据えられた。
本堂では数人の僧侶が声を揃えて経文を唱えだす。
耳障りなその声に耐えかねて千里は僧侶の一人の頭を叩こうとした その途端、青い一条の光が差し込んで千里の目をかすめ、胸を打つ。
千里がひるむと、若い僧侶がいざり出て本堂にある金襴のとばりを開く。
そこには、神々しい姿の仏像がたたずみ、優しく千里に微笑むのだった。
外は滝が落ちてくくるような激しい雷雨。
風も渦巻いて吹き付ける。
怖ろしさのあまり、その胸にすがる千里。 千里を温かい腕で抱擁する姉。
柔らかな胸に抱かれているうちに千里の心は落ち着きを取り戻し、僧たちの陀羅尼(だらに)が心地よく響くのだった。
その夜の嵐によって、九つ谺は淵となり、水の底に沈んでしまったという―――