【鏡花怪異譚】
大正5年発表。
利根川流域の池沼で怪しい光景に出会ってしまった工学士の回想譚。
「私」と友人である工学士は、東京府下渋谷で開かれた茶話会に出席した。
会場の近くには名も知れぬ真っ白い花が咲き乱れていた。
あたりは燻したような濃く甘い香りに包まれ
小さな花弁が雪のように地面に降り積もっている。
茶話会の帰途、市電の車内にその花の香りが漂うと、
そこには赤ん坊を抱いた妙齢の女性が座っている。
女性を見た工学士は顔色を変え、
「利根の忘れ水」と呼ばれる大池でのかつての体験を語りだした。
たなびく靄に包まれたその場所では空と水が溶け合い、天地の分け目もわからぬ。
池のほとりにはとりどりの花が咲き、桃源郷のような景色が広がっていた。
ふと靄が途切れるように分かれると、そこには
華やかな友禅の着物を装った三人の女性がいるのだった―――。